 |
少彦名命(すくなひこなのみこと)
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の御子神で、高天原より天降り山野に薬草を求め、病苦に悩む人々を治療し、鳥獣昆虫の災いを祓うまじないの法を定め民衆の災難を防ぎ不安を取り除いた、いわゆる医薬の術の祖神である。
また、酒を造る術を考案された醸造の神としても、古くから崇められている。
更に菅原道真公(天満宮の御祭神)や江戸時代の国学者として国文学の基礎をつくった本居宣長、平田篤胤などが学問の神として崇敬していた。
大名持命(おおなもちのみこと)
日本の国土を統治された神で、別の名を大国主命(おおくにぬしのみこと)と称し、少彦名命と共に力を併せて国土を開拓し、田畑を造り殖産の業を興し、人々の生活と安定を築かれた神。
|
 |
『文徳天皇実録』
によれば、斉衡(さいこう)3年(856)12月29日条に常陸国から上言があり、鹿島郡大洗磯前に神が新たに降り、初め郡民で塩を焼く者が夜半の海上に光り輝くものを見る。明くる日には海辺に2つの怪石があり、さらに次の日には20余の小石が2つの怪石の左右に侍座するように並び、沙門(しゃもん)に似ているが耳や口はない。託宣によれば、
我は大奈母知少比古奈命であるが、国を造りおえて東海に去り、今また民を済けるために来帰した
という。少彦名命が当社に祀られた。
注・大洗磯前神社の由緒も同じ。
両社とも翌天安元年8月に官社に列し、薬師菩薩名神の号を賜わり、『延喜式神名帳』にも酒列磯前薬師菩薩神社と載る。建久2年(1191)に源頼朝公が社領を寄進し、元弘2年(1332)に佐竹貞義公が神田を寄せた。元禄15年(1702)8月には水戸3代藩主の徳川綱條公(とくがわつなえだ)が光圀公の命により社地を整備し造営にあたった。明治18年4月22日に県社から国幣中社に列した。
- 文徳実録
- @ 天安元年八月辛末
在二常陸国一大洗磯前、酒列磯前神等預二官社一
- A 天安元年十月己卯
在二常陸国一大洗磯前、酒列磯前両神
号二薬師菩薩名神一
- 延喜式
- @ 巻三神祇三臨時祭
名神祭二百八十五座
酒烈礒前薬師菩薩神社一座。
- A 巻九神祇九神名上
那珂郡七座 大二座 小五座
酒烈礒前薬師菩薩神社 名神大
|
 |
当神社でまつる
少彦名大神(すきなひこなのおおかみ)
は、難病に苦しむ多くの人々を救われ、
医学、製薬の守り神、酒造りの神
として広範囲の崇敬を集め、地元では
「エビスさま」として
大漁と海上安全の神
として古来から信仰があつまり、
「薬師さま・乳母神さま」として病気平癒・子授け安産の神
として崇められています。
|
 |
交通安全・お祓い神社として、車や船のお祓いを致します。
|
 |
 |
|
明治4年(1871)5月、政府は太政官布告で官社、諸社の別と社格をさだめた。官社は官幣社(大、中、小)、
国幣社(大、中、小)の合計97社で神祇官の所管とし、諸社は、府社、藩社、(のち廃藩置県により県社になる)、
県社、郷社で、地方官の所管とした。つづいて7月、郷社定則が制定されて、府県社、郷社、村社の社格が公的に規定され、以上の社格を賦与されない神社は、無格社とよばれることになった。 |
 |